シウマイ像をつくる 人々の記憶に響く彫刻を目指して
鹿沼市は東京から100㎞圏の関東平野の北限にあり、世界遺産を擁する日光市、県庁所在地で餃子のまちとして知られる宇都宮市に隣接しています。
JR日光線、東武日光線、東北自動車道鹿沼ICもある交通の便に恵まれた立地で、江戸時代の日光東照宮造営から宿場町・ものづくりのまちとして発展してきました。
もともと鹿沼は天災が少ない地域と言われて来ましたが、2011年の東日本大震災とその後の風評被害、2013年の突風、2014年の大雪、2015年の100年に一度と言われた集中豪雨、2019年の激甚災害に指定された台風19号、そして2020年はコロナウイルス騒動と、近年稀に見る災苦が相次いでいます。
地域経済の応援団である私たち鹿沼商工会議所としても、この厳しい状況の中でもより多くの皆様が楽しく関わる事が出来る新たな市場を創出の施策として、
シウマイゆかりの地であるここ鹿沼で「かぬまシウマイ」の独自ブランド化を図り、シウマイで鹿沼により一層の賑わいを創出する事業を開始しました。
私たち鹿沼商工会議所と会員は野並茂吉氏の成し遂げた崎陽軒のシウマイに倣い、十年二十年と続く仕組み作りを目指して継続的に活動を続けていきます。
「鹿沼」「シウマイ」「彫刻」
三つが、にぎる。
「かぬまシウマイ」のブランド化への取り組みは、まず崎陽軒を含む各所との連携を組み上げることからスタートしました。その中で奇しくも三代目取締役社長の野並直文氏が就任周年を迎えることもあり、その節目とあわせ初代社長の野並茂吉氏の功績を記念した崎陽軒公認の「シウマイ像」を制作・設置することとなりました。
素材は鹿沼市内で産出される凝灰岩の一種である深岩石(ふかいわいし)。大谷石に似た味わい深い表情を持ちながら、水や温度の影響を受けにくく、強度があり彫刻にも向いた素材です。制作は東京藝術大学美術学部彫刻科テクニカルインストラクターの石井琢郎講師にお引き受けいただきました。
プロジェクトの開始にあたっては、令和2年10月23日に崎陽軒・東京藝術大学・鹿沼商工会議所の者により、崎陽軒本店で「シウマイ像設置連携協力に関する覚書」の締結式を行いました。
手のひらの中に可能性を、にぎる。
「シウマイ像」の制作を担う石井氏は、ご自身の創作活動から得た「にぎる」ということへの気づきを基に、この鹿沼の地で末長く記憶として刻まれ、受けつがれる彫刻のあり方を模索した結果、野並茂吉氏ゆかりの加園小の子供たちとのワークショップを行い、その成果をシウマイ像に内包させていくという創作工程を着想されました。こうして「にぎる」をテーマに令和3年5月26日に開催された「シウマイ像」ワークショップで、加園小の子供たちは自分が想像もしなかった「にぎる」形をそれぞれに作り上げていきました。
「シウマイ像」の大切な構成要素の誕生、子供たちの未知なる可能性が石井氏に託された瞬間です。
シウマイ像を、刻む。
茂吉氏のふるさとへの慈愛と生涯その情熱を傾けたシウマイ、そしてふるさとの未来を担う子供たちの可能性を、深岩石に落とし込む石井氏の作業が始まりました。子供たちのにぎった造形を咀嚼し、自在に散りばめた未来へと続く可能性が、洞窟のように深岩石の内部に刻まれていきます。猛暑の令和3年の夏、滴る汗を拭いながら、石井氏の作業は続きました。作者からのメッセージ動画
シウマイ像、現る。
こうした過程を経て令和3年9月22日、崎陽軒からは代表取締役社長野並直文様、専務取締役野並晃様、東京藝術大学から石井琢郎様、栃木県知事福田富一様、鹿沼市長佐藤信様を始めとした皆様にご臨席頂き、JR鹿沼駅前でシウマイ像の除幕式が執り行われました。その反響は色々な意味で大きく、様々な媒体やSNSで話題となったことは、みなさまのご記憶にも新しいのではないでしょうか。
私たちは「かぬまシウマイ」をお楽しみいただく前でも後でも、この像をご自身の目でご覧いただきたいと思っています。いろいろな角度から眺めてみてください。そしてできれば目を凝らして内部もご覧いただき、この像が秘めたこの地の未来を担う子供たちの「にぎる」パワーの片鱗を感じていただければ幸いです。